凄みのなさ
こう、日本人は何かにつけて凄みがない。
音楽、サッカー・・・etc、アマもプロも上手い人はそこそこいるが、技術ではない、言葉で表しがたいなにかが、大きな壁が立ちふさがっている気がする。
その原因の一つは、ダメなものをダメと言えない、いいにくい日本人の気質があるのかもしれない。
今でこそ、スポーツの応援ではブーイングが一つの手段として定着しつつあるが、これはもともとは「野次」であり、日本人の感覚で言えば下品なことである。
ブーイングはスポーツの応援という、ある特殊なシチュエーションの作法として、定着したに過ぎない。
本来は「てめー、帰れ!」というのが前面に押し出されても良い、というか本来はそこである。
私自身は、ライブでどーしようもないバンドや曲、プレーによくお目にかかるが、誰も「帰れ」なんていわない。
確かにライブはファンが見に来ているので、そんなこと言ったらあとで袋叩きにあう恐怖心もあるが、ダメなものはダメといわないと、アーディストは成長しないし、結局泣かず飛ばずで結局活動中止なんてことになるとファンも最終的には痛手を受ける。
プロは客から金をもらって生きているのである。
金を払って見に行った我々は彼らをジャッジメントする権利がある。というかしっかり評価をしてあげれば、きっと一つ上のステージが用意されるはずだ。
(よくよく考えると、客=国民、プロ=政治家・官僚と置き換えると選挙とか政治一般に当てはまるw)
小田和正が番組で話していたが、昔はオフコースが出て行くと「帰れ」といわれたり、モノが飛んできたそうだ。
当時はメッセージソングがシーンの主流で、そういった主張とは一線を隔し、いわゆるラブソングを歌う彼らはバッシングの対象であった。
これは流行という力が客を後押しさせたのも事実かもしれないが、自分が見たくないもの、嫌なものについてはコレくらいアクションしても良いのではないか。
なんとなく殴り書いて続く。
こう、日本人は何かにつけて凄みがない。
音楽、サッカー・・・etc、アマもプロも上手い人はそこそこいるが、技術ではない、言葉で表しがたいなにかが、大きな壁が立ちふさがっている気がする。
その原因の一つは、ダメなものをダメと言えない、いいにくい日本人の気質があるのかもしれない。
今でこそ、スポーツの応援ではブーイングが一つの手段として定着しつつあるが、これはもともとは「野次」であり、日本人の感覚で言えば下品なことである。
ブーイングはスポーツの応援という、ある特殊なシチュエーションの作法として、定着したに過ぎない。
本来は「てめー、帰れ!」というのが前面に押し出されても良い、というか本来はそこである。
私自身は、ライブでどーしようもないバンドや曲、プレーによくお目にかかるが、誰も「帰れ」なんていわない。
確かにライブはファンが見に来ているので、そんなこと言ったらあとで袋叩きにあう恐怖心もあるが、ダメなものはダメといわないと、アーディストは成長しないし、結局泣かず飛ばずで結局活動中止なんてことになるとファンも最終的には痛手を受ける。
プロは客から金をもらって生きているのである。
金を払って見に行った我々は彼らをジャッジメントする権利がある。というかしっかり評価をしてあげれば、きっと一つ上のステージが用意されるはずだ。
(よくよく考えると、客=国民、プロ=政治家・官僚と置き換えると選挙とか政治一般に当てはまるw)
小田和正が番組で話していたが、昔はオフコースが出て行くと「帰れ」といわれたり、モノが飛んできたそうだ。
当時はメッセージソングがシーンの主流で、そういった主張とは一線を隔し、いわゆるラブソングを歌う彼らはバッシングの対象であった。
これは流行という力が客を後押しさせたのも事実かもしれないが、自分が見たくないもの、嫌なものについてはコレくらいアクションしても良いのではないか。
なんとなく殴り書いて続く。