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【音楽連載(にしたい)】音楽に関する徒然1「表出と表現について」

とあるボーカルの集まる会に参加して思う。(俺は外野ですが)



「俺の(そしてみんなの)音楽(ないし歌)は、聞き手に届いているのだろうか。」



何をするのもそうだが、表現は表出と錯覚しやすい。
ようするに、オナニープレイに陥りやすいということだ。


自分も好きで音楽をやっていて、もちろん自分が満足するのも必要だけどやはり最終的には誰かに何かを伝えることを目標にしております。
そこでおこりやすい表出と表現の履き違えについては、日々自分も気をつけなければならないと思っています。

表出と表現については定義を持った社会学の用語なので引用を含んで解説します。
引用元は私が某SNSでレビューもしている宮台真司著の『援交から天皇へ』です。


●「表出」とは?
表出主体のカタルシス(感情浄化)を引き起こしたかどうかによって成功したかが判断されます。
要するに演劇をやって、客になーんにも伝わらなくても、「俺やったぜ!」的な自己満足を得ることです。
この例ではなんとなく失敗したかんじですが、表出それ自体が悪いこととは限らないわけで、何を目的としているかっつーことです。 「俺やったぜ!」を得ることを目的としているコトだってあります。



●表現とは?
「表現」は「受け手」が存在して、受け手がそれを理解したかどうか、理解によって動機付けられたかどうかで成功したかどうかが判断されます。こちらは特に例なしで。


で、その勘違いと言うのは、表現しているもしくは表現であるべきモノが表出と成り下がってしまっているっつーことです。
たとえば今日も地元で核廃絶かなんかのデモを見かけましたが、ホント昨今のデモなんかはいい例で、デモっつーのはその行動によって人を動機付けてナンボなはずですが、彼らはどう考えてもデモ活動をやってるということに自己満足してるようにしか思えない。



それと同様に音楽についても同じことが言えるのではないか、と。
つまり、表現(受け手ありき)が表出(オナニープレイ)に成り下がってしまっているのではないかという不安。
もちろんゴールや目的は人それぞれなのですが、少なくとも表現したくてオリジナルの楽曲を作ったり、プロの表現者を目指している人はここが肝だと思います。



ボーカルであれば音程取れてたり、ヴィブラートが出来たり、声量があったりなんていうのは技術的な問題で、こいつはトレーニング次第で乗り越えられるものも多いと思うし、出来てる人なんて歌を歌う人ならごまんといるはず。
そんななかでボーカルは何が大事なのかと考えると、私個人は楽曲や歌詞のイメージを作り出し、聞き手に伝えられるかどうか、感動させることが出来るかどうかだと思っています。


そこそこうまいだけの歌(カラオケ)に成り下がるか、それを一歩乗り越えて相手に伝わる歌を歌えるかどうかってこの辺の意識なのではないかな、とちょっと考えてみました。

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なんかちょっと脱線して「うまさ」と「すごさ」の違いみたいに成ってしまいましたが・・・。
まぁ30分で何も考えずに書いたのでご容赦を。
またリライトします。


次回は「私の好きな歌(ボーカリスト)についての考察」(予)です。
あとは「ギター」「楽曲」「歌詞」位は書いて見る予定です。


あくまで予定!
気長に。

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today's music(復帰w)


RADWIMPS/25個目の染色体


マジ泣く。泣ける。泣いた。愛する人がいる人、結婚する人、子供が出来た人、聴いてください。
歌詞はコチラ(http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=35439)。後半部分がヤヴァイ。